『NBA 2K11』で初登場した「Jordan チャレンジ」は、NBAファンがマイケル·ジョーダンのキャリアで最も記憶に残る瞬間を再現できるという画期的なスポーツゲームモードでした。それから10年以上が経った今、次世代機·現世代機版『NBA 2K23』で、大学の新星からNBAレジェンドへと駆け上がったジョーダンの軌跡を再び辿る絶好の機会です。
『2K11』と『2K23』におけるプレイヤーの皆さんの主な違いは、後者はマイケル·ジョーダンのプレイを会場やテレビ中継で観ていないプレイヤーが多数を占めることです。短いクリップやYouTube動画、10年のうちにNBAチャンピオンシップの栄冠を6度掴むという偉業を見届けた家族の話から知ることしかできません。没入感の高い物語を通じて、あらゆる世代のファンがマイケル·ジョーダンのキャリアを今一度楽しめるのが『NBA 2K23』の「Jordan チャレンジ」です。
ハイライト
- 緻密に設計されたビデオフィルターシステムにより、ゲーは1980年代と1990年代に放送された当時のテレビを観ているかのような体験ができ、時代ごとに違った感覚を味わえます。
- それぞれの試合が行われた時点での技術を忠実に放送様式に再現しました。1982年では、シンプルで自然体なデザインだった頃の放送を体験できます。グラフィックは多用せず、大きなブロック文字が特徴です。90年代に入ると、技術の飛躍によって進化したプレゼンテーションが見られるようになります。百聞は一見に如かず。実際にご覧ください。
- 全ての試合のムードやセッティングが施されている、真のワールドクラスの体験をお届けするテレビ放送体験。解説の臨場感を高めるには、あらゆる角度からジョーダンの全てを見届けてきた人物が必要です。『NBA 2K23』「Jordan チャレンジ」のコメンタリーチームに参加するのは、伝説のコーチでありアナリストのマイク·フラテロ。その鋭い洞察力とユニークなストーリーで、唯一無二の本格的な試合を演出できる存在で、忠実なゲームを作りたいという私たちの想いを裏打ちしてくれています。
- ノースカロライナ出身、ガード、198cm、マイケル·ジョーダン!!アイコニックなブルズのスタメン紹介をするのは、レイ·クレイの象徴的な声。鳥肌の立つような瞬間を捉えて再現するために、レイ·クレイの放送音声を完全にキャプチャーしました。彼は世界中のテレビで放送されていた90年代の最中、ブルズ公式のPAアナウンサーとして採用されました。また、90年代ブルズのスタメン紹介体験は、メンバーが発表されるたびにスタジアム内のスピーカーから流れるThe Alan Parsons Projectの楽曲"Sirius"なくしては語れません。本格的な体験をお届けするために、ありとあらゆるディテールにこだわりました。
- 「Jordan チャレンジ」の15試合のそれぞれに、各試合を特別なものにした立役者の1人である著名人への試合前インタビューを収録しています。マイケル·ジョーダンの物語を思い起こしてくれるのは、チームメイト、コーチ、試合解説者たち。マーヴ·アルバート(「シュラッグ」ゲームのコートサイドコメンテーター)、カリーム·アブドゥル=ジャバー(シカゴで行われた1988年オールスターゲームの対戦相手)、デニス·ロッドマン(バッド·ボーイズ戦の対戦相手)、フィル·ジャクソン(「ラストダンス」ゲームのヘッドコーチ)などそうそうたる顔ぶれが登場。これこそ記憶に残る物語に華を添えることができると考えています。
- チャレンジ! 15試合のチャレンジそれぞれに達成すべき3つの目標があります。目標を達成するとスターを獲得できます。スターを40個集めると、MyTEAMモードとMyCAREERモードの限定報酬をアンロックできます。Jordan UNCのジャージを着て「ザ·シティ」と「ネイバーフッド」を闊歩したいなら、手に入るのはここだけです。
あらゆる全てのものを含めるという"キッチンシンクアプローチ"は、こればかりではありません。コート上での体験がこの時代のバスケに合わないものなら、上記は意味を失ってしまうでしょう。さらに詳しく掘り下げていきましょう。
本格的なゲームプレイ
バスケットボールは、過去40年間で大きく変容しました。「Jordan チャレンジ」をサポートするためにコート上での体験を強化することは、開発チームが今年最も注力した部分です。「Jordan チャレンジ」は、当時のチームやユニフォームを使用しただけの現代的なゲームプレイではありません。各ゲームをNBA史へのタイムトラベルのようにするため、各時代の雰囲気に合わせるべく、主要な変化を調査、考察し実装しました。
まず、ジョーダンの時代はゲームのペースが緩やかでした。80年代のゲームでは、ポストとミッドレンジのゲームに重点が置かれていることに気づくでしょう。これは、時代に合わせたスライダー設定、AI、プレイ傾向、プレイブックによってサポートしています。1980年代のトランジションゲームも書き直しました。今日のNBAで見られる3ポイント狙いとは対照的に、よりタイトなトランジションレーンと、数的優位性でバスケットに切り込むのが特徴です。
ジャック·ラムジー、ヒュービー·ブラウン、ディック·モッタ、レニー·ウィルキンス、フィル·ジャクソン、ジェリー·スローン、リック·アデルマンなど、NBA史上最高のコーチが生み出したセットをプレイできます。ディフェンス面では、マッチアップロジックを書き直しました。ジョーダンがドミニク·ウィルキンスと対戦するときには、シュートアウトチャレンジでマッチアップしてスコアを競い合うようにしました。他のゲームでは、より複雑なクロスマッチが見られます。ジョーダン対キャバリアーズでは、ウィンストン·ベネットがジョーダンをガードし、ジョーダンがクレイグ·イーローに向かい、イーローがスコッティ·ピッペンをガードし、ピッペンがベネットをガードします。効率良く得点できると、イーローがジョーダンをマークし始めます。
1980年代と1990年代のバスケットボールは、現在よりもフィジカル戦になるのが特徴でした。これは、フロアゲームとペイントで正確に表現しています。今日の自由で流動的なゲームと比較すると、ハンドチェックとハードな当たりで1対1の戦いがまったく違って感じられます。また、イリーガルディフェンスなど全てのルールがゲームごとに正確かつ適切に表現されるようにしました。ジョーダン対「バッド·ボーイ」ピストンズは、オールドスクールなバスケットボールの肉弾戦を示す好例です。ピストンズは、MJを抑えるために採用したことで有名なディフェンス戦略「ジョーダン·ルール」を使います。
シグネチャースタイル面では、過去最大のアップグレードを施しています。マジック·ジョンソンはお馴染みのノールックパスを使い、多くの名プレイヤーが新しいジャンプシュートやレイアップ、ダンクを繰り出します。また、ドリブルムーブセットとフィニッシュムーブを時代に合わせました。つまり、"シャムゴッド"クロスオーバーやユーロステップレイアップといった動きは、「Jordan チャレンジ」のゲームでは発動しません。そして、「Jordan チャレンジ」は、誰もが記憶している名シーンなくしては完成しません。ポートランド戦の有名な”シュラッグ”、1997年ファイナルでの”インフルエンザゲーム”、イーローの頭上を超えるシュート、ブリオン·ラッセルに対する勝利を決し、最後のチャンピオンシップを掴んだゲームウィナーなど。『NBA 2K23』で忠実に再現された記憶は、他にも目白押しです。
「Jordan チャレンジ」では、あらゆるディテールにこだわり、ただの再現以上のものにするため尽力しました。こうして往時を美しく表現しています。きっとお楽しみいただけることでしょう。以下に、各チャレンジとその背景にあるヒストリーの詳細をまとめました。
「JORDAN チャレンジ」
1. 1982年ナショナルチャンピオンシップ:ノースカロライナ大学vsジョージタウン
1982年のナショナルチャンピオンシップでは、将来の殿堂入りレジェンドたち、伝説的なマッチアップ、そしてマイケル·ジョーダンのクラッチの片鱗を見ることができます。残り20秒を切って62-61とリードされた状況で、1年生だったMJは、試合終了15秒前に逆転のジャンプシュートを放ち、タイトルを掴み取りました。新入生のみならず、多くのプレイヤーたちがナショナルチャンピオンシップのまばゆい光と激戦に挫かれる中、この23番は異彩を放っていました。1982年ナショナルチャンピオンシップのマジックを再現して、ジョーダン初のアイコニックなシュートを体験してください。
2. 1984年バスケットボールアメリカ代表練習試合
1984年には、67,596人ものファンがフージャー·ドームに集結し、NBA名手たちの激突を目の当たりにしました。マイケル·ジョーダン率いるオリンピックアメリカ代表チームがマジック·ジョンソンをはじめとするNBAオールスターと対決しました。ラリー·バードやケビン·マクヘイル、アイザイア·トーマスなどのNBAレジェンドが出場するゲームで、ジョーダンはルーキーでも偉大なスターたちを打ち負かすことができるのだと証明しました。
3. 1986年イースタン·カンファレンス第1ラウンド、第2戦
マイケル·ジョーダン2度目のNBAプレイオフシリーズ。当時22歳だったガードの彼は、強敵ボストン·セルティックス相手に冷静沈着なプレイを見せました。第2戦での独擅場は伝説的であり、63点という驚異的な活躍でラリー·バードらに引導を渡しました。もはや手がつけられない勢いで、そびえ立つディフェンスをくぐるアクロバティックなレイアップのほか、いくつものジャンプシュートを重ねました。『NBA 2K23』で、ジョーダンの歴史的猛攻を再び解き放ちましょう。
4. 1988年NBAオールスターゲーム
マイケル·ジョーダンは、わずか29分間のプレイの間にフィールドゴール成功率.739で40ポイントを獲得し、全てのスコアラーをリードしました。マジック·ジョンソン、ジェームズ·ウォージー、アキーム·オラジュワン、カリーム·アブドゥル=ジャバーなど、ウエスタン·カンファレンスオールスターのラインナップを相手にコートに立ちましょう。
5. 1989年イースタン·カンファレンス第1ラウンド、第5戦
エリミネーションゲームは、「クラッチプレイヤー」の地位を狙うあらゆるプレイヤーにとって究極の試練となります。シカゴ·ブルズとクリーブランド·キャバリアーズが2-2のタイとなった状況、クリーブランドの地でお互い後がない第5戦目。ジョーダンの快進撃のための舞台は整いました。キャバリアーズ相手に44得点、9リバウンド、6アシストを記録し、次のラウンド進出に貢献しました。ジョーダンの多彩なスキルを披露し、クリーブランドのプレイオフ出場の野望を打ち砕きましょう。
6. 1990年シカゴ·ブルズvsアトランタ·ホークス
ジョーダンの名試合を振り返るときには、ドミニク·ウィルキンスとの1戦を外すことはできません。アトランタ·ホークスの歴史が誇るプレイメーカーの1人に対し、ジョーダンは45試合で平均31.6ポイント、7.1リバウンド、6.2アシストを記録しました。対照的に、ウィルキンスはマイケル·ジョーダンに対して平均29.8ポイント、6.8リバウンドの成績となりました。このライバル対決は重要なタイトルマッチとなり、「Jordan チャレンジ」で追体験できます。
7. 1990年シカゴ·ブルズvsクリーブランド·キャバリアーズ
ジョーダンはキャバリアーズを相手に最高の試合を演じてきましたが、この69点のパフォーマンスを上回るものはないでしょう。50分間で一流とは何かを示すかのようにスコア、リバウンド、アシストを重ね、生涯最高得点数と18リバウンドで試合を終えました。安定したジャンプシュートでフィールドゴールを23回、フリースロー23発中21回を成功させました。歴史的なゲームを再現して、リーグの記録的瞬間を演じましょう。
8. 1990年イースタン·カンファレンスファイナル、第3戦
90年代初頭、シカゴ·ブルズとデトロイト·ピストンズのライバル関係は熱く、1989年のイースタン·カンファレンスファイナル第3戦で、そのライバル関係は頂点に達しました。1-1でタイとなったECFシリーズ、ジョーダンは46点を決め、5スティールも加えて、いつもどおりの方程式でチームを勝利に導きました。イースタン·カンファレンスのビッグバトルで、シカゴの割れんばかりの歓声を浴びて戦いましょう。
9. 1991年NBAファイナル、第5戦
マジック·ジョンソン率いる”ショータイム·レイカーズ”を破り、ジョーダンは遂に念願のラリー·オブライエントロフィーを掲げました。ジョーダンは、その活躍がありながら、6年間にわたって栄誉のチャンピオンシップトロフィーを掴めずにいました。当時27歳のシューティングガードは、殿堂入り級の才能が揃うチームを破り、一身に背負った高い期待に応えました。紙吹雪が降り注ぐ中でスポットライトを独占しましょう。
10. 1992年NBAファイナル、第1戦
ジョーダンが自身初のタイトルを獲得すると、次から次へと新たなリングを求めました。NBAファイナルに2回連続出場、ポートランド·トレイルブレイザーズとの対戦で早くから調子を整え、前半終了の時点で既に圧倒していました。MJは39点で全てのスコアラーをリードし、ブルズに33点差の大勝利をもたらしました。
11. 1995年シカゴ·ブルズvsニューヨーク·ニックス
かつての大学のライバルたちが再び対戦。舞台はバスケットボールの聖地、マディソン·スクエア·ガーデン。絶頂を極めるジョーダンとパトリック·ユーイングは、激しいぶつかり合いでしのぎを削り、来場したファンを沸かせました。ユーイングが36点を決めれば、本来ならどんなチームでも下すには十分のはず。しかし、ジョーダンの55点の活躍は、あまりにも高い壁として立ちはだかりました。このゲームもまたジョーダンの偉大さを物語るもので、その興奮を直に体験できます。
12. 1996年NBAファイナル、第6戦
マイケル·ジョーダン4度目のチャンピオンシップタイトルは、彼にとって厳しい試練の1つになったといえるでしょう。対する相手は、「ザ·グローブ」の異名を持つ鉄壁のディフェンダー、ゲイリー·ペイトンを擁するシアトル·スーパーソニックス。全てのポゼッションが激戦の様相を呈するものとなりました。ペイトンはシリーズを通してジョーダンを潰すべく死力を尽くし、第6戦ではフィールドゴール成功率を.263にまで抑えることに成功したものの、ジョーダンはすり抜けるようにスーパーソニックスのチャンピオンシップ計画を阻止しました。難敵との戦いでタイトルを掴みましょう。
13. 1997年NBAファイナル、第5戦
インフルエンザのような症状に冒され、今にも崩れ落ちそうなジョーダンは、ユタ·ジャズ戦で44分17秒間にわたり、病と疲労と戦いました。「インフルエンザゲーム」は伝説的であり、バスケットボールプレイヤーとしてのジョーダンの名シーンに挙げられています。ブルズは第5戦の立ち上がりから理想とは程遠い状況に陥り、一時は16点差をつけられました。それでもジョーダンはチームを射程圏内に引き戻し、最後は勝利を収めました。時計が00を示したとき、ジョーダンは38点、7リバウンド、5アシスト、3スティールを記録していました。余力の全てをコートに費やしたのでした。
14. 1997年シカゴ·ブルズvsロサンゼルス·レイカーズ
コービー·ブライアントは、マイケル·ジョーダンに似た風格と自信を漂わせてNBAに参入しましたが、彼がMJの後継となれるかどうかは未知数でした。ローワー·メリオン高校出身、ジョーダンに憧れて育ったブライアントは、トーチを手にするに相応しい器であると証明すべく、自身のアイドルに挑みました。MJとブルズに対して33点を決めたものの、ジョーダンの36点は、依然として自身が王者であることを知らしめました。新進気鋭のブライアントが勝利の道を歩む前に、教訓を示してあげましょう。
15. 1998年NBAファイナル、第6戦
ユタ·ジャズとシカゴ·ブルズは、1997年NBAファイナルでのマッチアップでは飽き足らず、1998年に再び衝突しました。1戦を除くシリーズ全ゲームが5点差以下という接戦で、第6戦でクライマックスを迎えるドラマになりました。ジョーダンは45点という伝説を築き、6度目のチャンピオンシップタイトルを獲得しました。彼の猛烈なクロスオーバーでブライオン·ラッセルを転倒させ、残り5秒というところで逆転ゴールを決めたのでした。最後の奇跡を再現し、ジョーダンの偉業を祝福しましょう。
「Jordan チャレンジ」ゲームモードは、『NBA 2K23』の全バージョンでプレイできますので、是非とも挑戦してみてください。マイケル·ジョーダンのキャリアを描いたこのストーリーは、開発チームが手塩にかけた、今日のNBAを形作った偉人を称えるプロジェクトです。これはVisual Concepts全員にとって稀有な栄誉です。そんな「Jordan チャレンジ」を皆さまにも楽しんでプレイしていただけましたら幸いです。コートでお会いしましょう!
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